本気で働ける環境とは
2005年 12月 25日
レジデント初期研修用資料: 期待の消失と医療の恐慌
ここまで明確に思考を言葉にされているブログを私は知らない。今、医療業界が抱えている漠然とした不安は、結局こういうことだったんだよな、と思う。
悲しいかな、現状は、患者さんのためと思って一生懸命働けば働くほど、バカを見るような構造になっているということ。事故はある一定の確率で起こるし、避けられないのに、それについて必ず責められることになっている。だったら、ちょっと考えれば、事故をなるべく避けるように働くのがベストということになる。つまり、難しい診療はしないことと、医療行為自体のチャンスを減らすこと。
昔なら、難しそうな病気の患者さんが来たら、一生懸命勉強して、治療する、最後までその患者さんにつきあう、ってなもんだったが、今では、知らないことをやって責められるんならしない方がマシ、ということですぐに大きな病院へ送ってしまう。最近は、大きな病院でも時にそれをする。而して、医療知識の向上のチャンスは失われる。患者さんにとってはその方が幸せかも知れないが、そういうことを繰り返していくと、「親身になる」という感情は薄れがちになる。それに気付いた時、ああ、医師としてもダメになっていっているな、と痛感する。ただ、医療事故に遭遇せず、我が身を守りながら暮らしていくには、それも仕方ないことなのだろう。誰も、自分のことは守ってくれないのだから。
この国は、この国の医療は、どこへ流れていくのだろう。
ここまで明確に思考を言葉にされているブログを私は知らない。今、医療業界が抱えている漠然とした不安は、結局こういうことだったんだよな、と思う。
悲しいかな、現状は、患者さんのためと思って一生懸命働けば働くほど、バカを見るような構造になっているということ。事故はある一定の確率で起こるし、避けられないのに、それについて必ず責められることになっている。だったら、ちょっと考えれば、事故をなるべく避けるように働くのがベストということになる。つまり、難しい診療はしないことと、医療行為自体のチャンスを減らすこと。
昔なら、難しそうな病気の患者さんが来たら、一生懸命勉強して、治療する、最後までその患者さんにつきあう、ってなもんだったが、今では、知らないことをやって責められるんならしない方がマシ、ということですぐに大きな病院へ送ってしまう。最近は、大きな病院でも時にそれをする。而して、医療知識の向上のチャンスは失われる。患者さんにとってはその方が幸せかも知れないが、そういうことを繰り返していくと、「親身になる」という感情は薄れがちになる。それに気付いた時、ああ、医師としてもダメになっていっているな、と痛感する。ただ、医療事故に遭遇せず、我が身を守りながら暮らしていくには、それも仕方ないことなのだろう。誰も、自分のことは守ってくれないのだから。
この国は、この国の医療は、どこへ流れていくのだろう。
by shy1221
| 2005-12-25 07:39
| 思うこと